a rebellious age


慶長15年 9月 ――― 関が原


太閤豊臣秀吉 生存

その驚くべき知らせは瞬く間に戦場を駆け抜け、敵味方を問わず両軍を驚愕の渦に叩き込んだ。

「死を偽り、裏切り者を炙り出す」という秀吉の奇策は功を奏し、「豊臣を守るため」という大義名分を失った東軍を混乱に追い込むこととなった。だが、同時に秀吉の策を由としない島津軍と立花軍の造反を招いた。
一時は窮地に陥ったものの、秀吉自身の活躍と何より三成をはじめとする豊富恩顧の武将たちの奮戦により、東軍を破り主将である徳川家康を本拠地である江戸へと敗走せしめることに成功をしたのであった。

関ヶ原の合戦以後、加藤清正や福島正則ら当初、東軍として参戦をした豊臣恩顧の武将は、旗幟(きし)を翻し西軍へと帰順。東軍不利と見た各大名たちも、次々と西軍へと馳せ参じた。


関が原の合戦より半年―――――


戦力を増大させた西軍は、江戸城を落とし徳川家康を破るに至ったのであった。





「おめでとうございます。秀吉様」
「うむ。三成にも苦労をかけたのう」

戦勝祝いの宴の席。
無礼講の席にも関わらず、いつもと同じく凛と背筋を伸ばした姿勢を崩すことのない三成に、秀吉は笑みと共に労いの言葉を返す。
実際、関ヶ原の合戦の下地を作り、東奔西走をしたのは彼だった。三成が関ヶ原の合戦の下地を作り上げてくれなければ、秀吉の奇策も功を奏することは難しかったであろう。

「戦は終わったが、戦後の処理がある。今暫く苦労をかけるが……三成、頼むぞッ!」

三成の特筆した事務処理能力は、戦の最中よりも、その前後の準備と処理時に大いに発揮される。二百五十万石もある巨大な旧徳川領、および東軍に与した諸大名の領地。その戦後処理の指揮を行うのは、三成に置いて他にはいない。
それは、誰しもが認めるところであり、秀吉も当然そう思っていた。第一、今迄だってそうだった。そして何より―――――


     後のことは、三成に任せておけば、万全ッ! はやく、茶々のところへ帰りたいのぉ〜


という男心。もとい下心がチラチラと…………
長きに渡る潜伏期間中、まったく女ッ気がなかったわけではない。だが、(ねね以外で)最愛の愛妾に会えるかと思うと、自然と頬が緩む。
思い切り鼻の下を伸ばし、茶々との甘い幻想に浸る秀吉。

だが―――――

「秀吉様。申し訳ございませんが……」

平伏し礼を崩さない三成が、キッパリと云い切った。

「イヤです」

秀吉は笑顔のまま固まる。
思考は一瞬空白。そして、再起動。
若干、固くなった笑顔を目の前に座す三成に向ける。心なしか、冷や汗が一筋。

「……三成? スマン、今……なんちゅうた?」
「ですから、イヤです。と……」
「………………と、年かのぉ〜。耳が遠くなったのかの? スマンが、もう一度云うてくれんか?」
「何度でもどうぞ。イヤです。お断りします。戦後の処理はご自分でなさって下さい」

そう答えた三成の表情は―――――
今までに見たこともないくらいに、爽やかな笑顔であった。その笑顔とは裏腹に、なぜか背筋が寒くなるようなシンシンとした冷気を感じる。

「……………み、三成??」
「絶対、イヤですから」

三成、即答。主であるはずの秀吉に、反論も弁明の余地も与えるつもりはないらしい。

「え、あの…でもな」
「いい加減、わたしも疲れました。お一人で戦後の事務処理をおやりになるのがお嫌でしたら、そこに……」

三成が手に持つ愛用の扇で指し示すは、背後で無礼講という触れに正直に従いドンチャン騒ぎをしている一団のその中心。

「ムダに元気なのがふたりもいるじゃないですか。彼らにお命じ下さい」

加藤清正と福島正則のふたり。
三成は、「ムダ」という単語に力を込めて、振り向きもせずに背後のふたりを指す。
そして、秀麗な顔にありったけの笑顔を込めて―――――

「わたしは、イヤです。やりませんから、そんな仕事」

と微笑む。
ここで漸く秀吉は、ひとつの結論に達した。


     ひょ……ひょっとして、ずっと―――――


「怒っておったんかぁッ!」 声にならない叫びが、秀吉の胸中に木霊する。
確かに、三成は関ヶ原の合戦の再会時、その怜悧な目元に涙を浮かべて秀吉の生存を喜んで以降、目立って感情を表すことはなかった。が――――――


     お、怒っておる……。ちょ、ちょっと素マジに怒っておるぅぅぅぅ(滝汗)


ニコリと優雅に微笑む三成。何も知らない人が見れば、見惚れてしまう程の美しさだ。だが、その笑顔の下を流れるのは、灼熱の怒り。


     あぁ〜〜、そういえば、思ったより三成の小言も少なかったしのぉ〜


今、思い返せば、いくら何でも自分に対する三成の態度が普通過ぎた。それにしても、目の前の戦に追われて、潜行していた三成の怒りに気づかない自分も迂闊である。





「イ、イヤだちゅうてもなぁ。お、お前……どうするつも……」

秀吉は、烈火に触れぬ様に恐る恐ると口を開く。何せ、三成が「手伝いを命じたらいい」と云ったふたりは、およそ書類仕事には向いているとは言い難い。豊臣家臣団切っての武断派に戦後処理の細々とした仕事が出来るとは思えない。そんなふたりに仕事を手伝わせでもしたら、自分の苦労が倍以上になることは明白。茶々との甘い日々など夢のまた夢となってしまう。
しかし、三成は秀吉の言葉など端から聞く気はなかった。

「あぁ、ァ千代」

三成は、秀吉を完全に無視。宴席の列に座していた立花ァ千代に声をかける。それも、笑顔付きで……

「なんだ、三成」

いつにない。どころか、これが初めてではないかという三成の爽やかな笑顔にまったく動じることなくァ千代が答える。彼女の周囲の他の大名たちは、三成の笑顔にギョッとしたり顔を赤らめてドキマギしたりと、ちょっとした騒ぎとなるのだが、彼女は至って平静だ。
三成も周囲の騒ぎなど眼中にない。

「以前、案内された九州の温泉。アレはよかった。よければ、また案内をしてくれないか」
「九州征伐の折りに案内をしたあの湯か? アレは、立花自慢の温泉だ。気に入ったのならば、いつでも案内をしよう」

周囲の喧騒をよそにマイペースなふたり。
と、ァ千代は上座で顔を青くしている秀吉を一瞥し、一際声を大にする。その時、彼女にしては珍しく口元がニヤリと綻ぶ。

「なにせ、三成には関ヶ原の造反の件や太閤への取り成しなどで散々世話になったのだ。第一、三成は関ヶ原に此度の江戸攻略と働き過ぎだ。そろそろ、ゆるりと湯にでも浸かって疲れを取ってもよい頃合いだ」
「そうだな、一年くらいゆっくりとしたい気分だ」
「まさに……だな。立花はいつでも三成を歓迎する。一年と云わずに好きなだけいるといい。丁度よい。近日中に九州に帰国するつもりだ。どうだ、共に参らぬか?」
「いいだろう。善は急げだ」
「ならば、そうしよう。三成がその気なら、近日と云わずに今日明日にでも出立しよう」

話し合いは、即効でそして簡潔に終わる。
ァ千代は席を立ち、「では、参るか」と三成と連れ立って広間を後にしようとする。

「え……えぇっと……み、三成?」

予想を越えた急な展開について行けずに、秀吉は目を白黒させている。きっと、関ヶ原で「秀吉生存」の報を聞いた家康もこんな気分だったに違いない。
しかしながら、そんな秀吉に三成は、秀麗な笑顔を向けて一言。

「と、云う訳です。秀吉様。申し訳ありませんが、しばしお暇を頂きます」
「で……でもな、み、三成……この仕事…お前し」

尚も三成を引き留めようとする秀吉。その声を遮ったのは―――――

「三成ッ! ギンちゃんッ!!」

いったいどこから現れたのか、大阪城にいるはずのねね(忍装束付き)だった。

「いいなぁ〜、温泉に行くのかい? 九州? うぅ〜ん、ご飯も美味しいだろうねぇ〜」
「おねね様」
「ねね殿」

どこから話を聞いていたのかは知らないが、ねねは「温泉」という単語に力を込める。子供のように三成とァ千代の間をウロウロしながら、「いいなぁ」と羨ましげに繰り返すねねの姿に思わず三成は苦笑を浮かべた。

「…………ならば、おねね様もいかがです?」
「えっ!? いいのかい?」
「まぁ……たまにはよいでしょう」
「まさか、三成から誘ってくれるなんて! すっごく嬉しいよぉ〜!!」

三成が視線でァ千代に問えば、彼女も笑って「ねね殿さえよければ」と、ねねの同行に賛同する。
ねねは、飛び跳ねながら「ホントにいいのかい?」と大はしゃぎ。さらに、三成の細身に抱きついて、「親孝行な子だねぇ」とご満悦だ。

だが、その旦那様にとってはまさに青天の霹靂。
三成(子供)だけでなくねね(奥様)までもが、自分を置いて遊びに行ってしまうなど欠片も考えていなかったのだから―――――
秀吉の青くなった顔が更に青くなる。

「へッ!? ね、ねね?? お前…なにを……」
「なんだい、お前様。文句でもあるのかい?」
「ッ!!?」

何か云おうと口をもごもごさせる秀吉を、ねねは半眼で睨みつけて黙らせる。眼差し鋭く睨みつけたまま、ねねは夫の前に仁王立ち。

「散々、三成に迷惑をかけておいて、その上、まだお前様の尻拭いをさせようってのかい?」
「し、尻拭いって……。ねね、こ、これは……仕事……」
「なに云ってるのさッ! 仕事? 仕事と三成。どっちが大事なんだい、お前様!! 三成は身体が弱いんだよ!! それなのに、お前様が死んじまったなんて嘘を信じて、夜もロクに眠らずに必死に豊臣のために働いていたのよ!!! 今まで倒れなかったのか不思議なくらいだよ!! それなのに……今度は戦の後始末? そんなに働き詰めにしたら、三成、病気になっちゃうじゃないのッ!!!」
「ね、ねねぇ〜」
「丁度いいじゃない。しっかり反省して、しっかり働きなさい、お前様。三成は、あたしと温泉に行きます。邪魔をするとお仕置きだよッ!!」

ビシッと指を突きつけて、秀吉の反論を許さないねね。
本気で怒っているねねを前にしては、流石の人誑しの異名を持つ秀吉もグウの音も出ない。仁王立ちで睨みつけるねねに対して、ヘタヘタと座り込んでは、口をパクパクさせるのが精一杯だ。

オカン最強伝説。
秀吉夫婦のやり取りを遠巻きに見つつ、何人の大名が自分の姿と重ねそっと涙したことだろうか………………

兎も角、天下人に対してピシャリと反論を封じ、あまつさえ「お仕置きだよッ!」と云ってのけるのは、ねね以外にはいない。事実上の天下最強の女性に怖いものなどはなかった。

「み……三成ぃ〜。ねねぇ〜」
「では、行って参りますので」
「じゃあね、お前様〜」

力のない声で三成とねねの名を呼んでも、帰ってくるのは楽しそうではあるが秀吉にとっては無情な言葉だけ。

「温泉楽しみだねぇ」
「子供ではないのですから、そんなにはしゃがないで下さい」
「いいじゃない〜。あっ、じゃあ、一緒に温泉入ろうか?」
「はい? な、なにを云ってるんですか!? 普通にあり得ませんから!!」
「えぇ〜、三成のケチ〜。ねぇ、ギンちゃん」
「そうだぞ、三成。母上と温泉に浸かるくらい何だ。別に減るものでもあるまいに……」
「ちょ……ァ千代!」
「そうよね、ギンちゃん! よく云ったわ」
「フフフ、こうなったら覚悟をするのだな、三成」
「…………まったく、誘わなければ良かった」
「なぁ〜に? 三成〜〜」

段々遠ざかる楽しげな会話。そして、その会話に自分は加わることはない。
秀吉は、呆然と三成たちの背を見送っていた。そんな自分に生暖かい視線が注がれるのを感じる。ふと、その視線の持ち主に助けを求めてみる。

「…………さ、左近」
「殿を説得してくれって云うのでしたら無理ですね。寧ろ、温泉大歓迎ですよ。さて、左近も殿のお供の準備をせねば」
「…………か、兼続」
「人を欺くなど不義ッ! ましてや、あの清廉で可憐な三成を騙すなど不義×10乗以上の大罪!! そんな、義に反する者に手は貸せませぬぞッ!!」
「…………ゆ、幸村」
「わたしは、槍働きが主な仕事です。頭脳労働はお断りします。第一、わたし、義トリオですから、連動的に不義の方に手は貸せません」
「…………ゆ、行長」
「みーつーなーりー♪ 九州へ来るんなら俺ンとこにも来ィや。肥後にも温泉あるでェ。あ、いっそのこと九州一周ツアーでもするか? そやそや、俺、ツアーコンダクターね♪」
「…………よ、吉継」
「ウォッ! ゲホゲホッ!! ゴホォッ!!! あ…………あの最後の一葉が落ちるとき、某の命も……………」

それぞれに好きなことを云って、三々五々散っていく生暖かい視線たち。
最後に残ったのは―――――



「…………」
「お、叔父貴―――――ッ! 俺らがついているゾッ!!」
「そ、そうですぞ、秀吉様ッ!! ただ……書類仕事は…苦手ではござるが……」

必死に秀吉を慰めようとする正則と清正。
ふたりの気持ちはありがたいが、かといってあの膨大な戦後処理が楽になるわけではない。

ガックリ肩を落とし深い深い溜息をつく秀吉は、「今後は、けっして三成を怒らせない」と固く決断をするのであった。





「なーんて、云っておりますが……。どうせ、三月も経たぬ内に心配になって、帰ると云い出すに決まっていますよ。うちの殿は……」
「やっぱり、そう思う? 放っておけばいいのにねェ。うちの人には、どうしても甘いんだから、三成は……」





fin
2006/12/01


「a rebellious age」とは、「反抗期」という意味です。
たまには、殿も反抗します。